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COLUMN

 

穏亡桜
update: 2004/6/15

■長濱 要悟
プロフィール:長濱要悟(54歳) 広島県出身
 畳職 小説家 俳人 町おこし活動家 町議会議員というマルチな視点で、日本人の人情の機微に分け入る。都会と島の往来からスパークする感性を文字にしたため、島々をいにしえの舟に見立てて八艘跳びする瀬戸内の野人。

 瀬戸内海のほぼ中央に位置する、といっても人口はわずか三十八人しかいないその島の死人焼き場は、部落の東のはずれの海っ端の、パラペットから五メートルほど離れただけで、穏亡小屋と並んで立っている。

 穏亡小屋は腰板のガラス戸を開けると三尺四方のたたきで、隣に簡単な流しがついてあり、すぐに六畳の間、その奥に汲み取り式のトイレがあるという、掘っ立て小屋同然のものだ。

 部屋の真ん中に電機炬燵を置き、男五人と女一人が足やら膝やらを突っ込んでビールか酒か好き勝手に呑んでいる。座卓の真ん中には大きな鉢で煮しめが置かれている。

 四月になったばかりで日が落ちるとまだまだ寒いせいだろう、六人とも背を丸め気味にして座っており、ガラスの笠を被った裸電球の明かりもかえって部屋を暗くしているようにも思えた。風の方向が逆になっていて煙は小屋の中には入ってはいないが、人を焼く、特有の匂いは部屋の中にも満ちていた。

 「でものう、なんでワシらが上村の穏坊をしちゃらんなぁならんのよう。ええか、よう考えてみいや、こいつはワシと喧嘩別れをして松山へ出て行った。出て行くときにゃ、車から工事用の道具から皆持っていきゃがった。そのくせついこの間よ、ワシに保証人になってくれぇ言うて、泣くように言うてきた。ワシと喧嘩別れしたんが二十年前じゃ、それからまったく音信不通で、もちろん、同じ内装業者じゃけん噂は聞いとったよ、派手な仕事振りじゃいうてね。しかし、本人からはなんの音沙汰もなかった。それがお前、二十年振りに現れたと思ったら、保証人になってくれぇと、こうじゃ。当然、ワシは断わった。しかし、こいつは断わっても断わっても帰らんかった。店先に居座って帰りゃせんのじゃ。とうとう、ワシも折れてしもうて、いったいなんぼ借金しよう思うとるんなら、と聞いたんが運の尽きよ。聞きゃぁ百万じゃ言う。ついつい、その位ならまぁええか思うて判を押したんじゃ。それからわずか一週間、この馬鹿の馬鹿嫁から電話が入って、自殺したんじゃげなと、それもよ、何を思うたんか、島に帰って、納屋の中で首つっとるじゃの言うて、こがな馬鹿ぁ話にならんワイ」
と、永川が言った。もうかなり酔っているらしく、言い方がくどくどしかった。

 「じゃけえ、さっきから言ようるじゃないか、たった九人しかおらん同級生のうちで、この葬式に来ておるのは五人じゃ。この五人で上村の穏亡をしちゃろうやいうて岩田が言ったとき、おまえもうんうん言うて納得したじゃないか。しつこいど、さっきから同じことばっかり言うて」
と、秋田が応えた。子供の頃から永川と秋田は喧嘩しながらもいつも一緒にいて、私たちから見ればじゃれあってばかりいる二人組みだった。五十五になっても二人はそういうコンビのままでいるように見える。

 「うん、たしかにさっきワシは岩田が言うたことにうんうんと言うた。でものう、秋田、考えてみいや。ワシだけじゃない、ここにおるみんな、と言うても岩田には一目措いとったが、残りの五人はみんな、死んだ上村にはいやな目に合わされとるんで。牛乳瓶の底みたいなメガネの奥で、いつもいつも、他人の落ち度ばかり探しとった。そして、ほんのささいな落ち度でも見つけようものなら、本人には気づかれんように、他人に言いまくっとったろうが。ろくな者じゃなかったのは、そうじゃ、浜中、浜中明治、浜中建材の社長、おまえなら、ワシの言いたいことがよう解るじゃろうが」

 うーん、でもなぁ、と私が答えあぐねていると、

 「永川君、あなたが言いたいことはみんなよく解ってるんだから、もうやめて、さあ、もう一杯飲めば」
と、平野世津子が言いながらビールを注いでやった。ちょっと舌っ足らずな言い方をするのは、歳をとっても変わらないらしい。そこが可愛いというのと、それだけが彼女の欠点だという者とに、高校時代、評価は二分していたが、美人であるという点では男たちの間ではほぼ一致した見方だった。

 誰が彼女を落とすか、男子生徒が集まるとよく話題になっていたが、彼女と初キスをし、手をつないで歩いたのは私だけだったと思う。しかし、それは本人と私しか知らないことだった。そして、私たちの時代の、しかも田舎では、それ以上二人の仲が進むことのないままに卒業した。彼女は広島市に就職し、私は東京の大学に進んだ。四十年近くも前のことだ。

 「せっちゃん、おまえも上村には意地の悪いことをなんべんもされたのに、よう、そうようなことが言えるのぉ」

 「そうね、でも、死んでしまえばみな仏さんになるって言うじゃないの。仏さんを悪く言わないほうがいいのよ」

 せっちゃんがええんなら、ワシもこれ以上は言わんけどのぉ、俯きながら永川が言った。そういった口の端から、でものぉ、とまだ言っている。

 「ワシはこいつにほんまに弱らされたんじゃぁ」

 さっきまで窓の向こうに焼き場の煙が見えていたのだが、すでに日が落ち、暗くなってしまっていて何も見えなくなっていた。

 私が窓から外を見ているのに気づいて

 「いまだにあんなやりかたで火葬をするのね、ここでは」

 と、永川の愚痴を無視するように世津子が小さい声で言った。

 「知らなかったのか」

 と、岩田が言った。高校時代から岩田の声はアナウンサーになればいいのにと言われるくらい低音の伸びのあるいい声だった。そのせいかあの頃は、男から見ても大人びて感じられた。

 「もちろん、知っていたわよ。子供の頃に見たことがあるもの。高校の頃祖父と祖母が続けて亡くなったときも見ているしね。でも、最近では何か違うものに、ガスとか重油とかに代わっているものと思っていたからびっくりしたのよ」

 「あのタキギの積み方はこの大山が島では一番うまいそうだ」

 岩田が大山の湯飲みに酒を注ぎ足してやりながらそう言った。

 「タキギの積み方に上手い下手があるの」

 「そりゃそうさ、井桁に積んであるので簡単そうに見えても、その上に棺桶を置いて下から火をつけるだろ、下手な積み方をすると死体が焼けるより早くタキギが燃え尽きてしまったり、途中で崩れて死体の各部分が散乱したりで大変らしい。その点、この大山が積むととても綺麗に、骨だけが残るように焼けて、ありゃぁ名人芸じゃあ、とうちのお袋が感心していたものだ」

 岩田に褒められた大山は少しはにかみながら、しかしなにも言わず酒をゆっくり飲んでいた。

 井桁に積まれたタキギの上の上村が入った棺桶に火がまわり、まず最初に髪に火がつき、皮膚が焼け、その下から血と油がにじみ出てジュウジュウと音立てて滴り、その油にも火がついて体中が火に包まれる様子が、私の頭に浮かんでは消えていった。

 

 「秋田」と岩田が本島に移住し役場に勤務している秋田に呼びかけた。

 「呉市との合併話はどのくらい進んでるんだ」

 「事実上、調印間近というとこじゃねぇ」

 「どうしても合併しなくてはいけないのか」

 「財政的にこれほど国からの締め付けがあると、ま、お手上げじゃけんのぅ」

 「国のやることなんか、いつでもでたらめよ」

 と、永川がまた、愚痴っぽい調子で口を挟んだ。

 「合併を考えるのは地元住民です、みたいにいかにも住民主導で合併が進んでいるように言いながら、その実、交付金カット、補助金カットで、搦め手から締め上げるんじゃけん、うちらのように銭のない自治体は手もなく合併せざるを得んのよ。のお、秋田、そうじゃろうが」

 「うちだけじゃない、小さい自治体はみなそうじゃ」

 「そこへもってきて、町会議員がぼんくらばっかりで、お上の言うことなら何でもかんでもご無理ごもっともで、それでお前らぁ、今まで、ようも自治体でごさりますと言うとったのぉ、自治体じゃなしに、県に治めてもろうとった、県治体じゃったんじゃろうが、いうて、こないだナガハマいう議員がおろうが、あいつに言やぁげたった」

 「それで合併したら、秋田はどうなるんだ。クビか?」

 永川を無視するように岩田が続けた。
 
 「いや、公務員にクビはない。まぁ、あと五年、定年までは勤めさしてもらえるじゃろう。ただ、遠くに飛ばされるとか、閑職に回されるとか、定年より早く肩たたきをされるとか、そういうことはあるかもしれんけどね」

 「立場はどうなるんだ、いまは課長だろ?」

 「係長に降格じゃぁ。ただし給料は現在のものを保証してくれるらしい」

 「公務員は世の中がどうなってもご安泰で結構なことだということか」

 岩田がそういったとき、私は、おや、と思った。岩田は他人のことを皮肉げに言う男ではなかったからだ。秋田も同じように感じたらしく、ちょっと戸惑った顔をしただけで黙ってしまった。すると、永川が、

 「立場はご安泰でも、個人的にはなかなか大変なんじゃ、こんなも」
 と、言った。

 「たいへんって?」

 と、世津子が訊いた。

 永川、と、秋田が静止しようとして小さい声で言ったが、永川は皆にはすぐに知れることよと言い、ちょっとニヤッとしてから、
 「こいつ、この歳になって子供を育てにゃならんようになったんよ」

 と、続けた。

 「なんだそりゃぁ、別口に子供が出来たのか」

 と、岩田が尋ねた。

 二人の会話を聞きながら、私は内心嫌な感じになっていた。

 「そんな景気のええ話ならええんじゃけどのぉ。三年前に、高校を出てすぐ、十八で結婚した娘が一年ちょっとで離婚して戻ってきて、生まれたばかりの赤子をこいつに押し付けて、島から出て行ったんよ」

 慰めてやればいいのか、同情すればいいのか、孫と一緒に暮らせて幸せじゃないかと、いっそ笑ってやったほうがいいのか、他人としてはためらわざるを得ない状況のようだ。私としてもこの話題がこれ以上進まないことを、内心願っていた。

 皆がふと黙り込んだ。

 「それは大変だわね、今から子供を育てるのは。育てる方も育てられる方も」

 と、世津子がため息混じりに、しかし、なんとなく面白がってでもいるように言った。

 「大変だって言やぁ、岩田だって、長い間単身赴任であちこち回されたじゃないか。銀行というのも、勤める身にとっちゃあ大変よのぉ」

 沈黙を嫌がるように永川が言った。

 「現在はどこの支店にいるの」
 
 と、世津子が訊き、話題の矛先が変わった。岩田は返事をしなかった。返事をしないことに意味があることに、他の五人はすぐに気づいていた。

 支店ではなく、本店にいるはずだ、と私は思った。私が知る限りでは本店で出世街道を驀進しているはずであった。

 岩田は何か考えているようだった。そしてビールを一口飲み「どうせ解ることだからな」と呟いてから、「リストラにあってな」と軽く言った。その軽みに岩田の落胆の重さが表れていた。

 みんなが一斉に岩田を見た。

 「なぜだ」

 と、思わず私が言った。

 私たちの島に学校はなく、小学校中学校ともに本島にみんなで通った。本島の学校では一学年に250人ほどの生徒がいたが、岩田はいつもダントツでトップの成績だった。高校も私たちは本島の高校に進んだが、岩田だけは呉市の進学校に行き、国立大学に入り、大手の銀行に就職し三十代のなかばには課長になっていた筈である。岩田は出世街道を突っ走っている、と羨望と同級生としての誇りを持って私たちは彼を語っていたのだ。

 「リストラといっても、首になったわけじゃなく、子会社に出向になったんだ。」

  だから今は毎日家から通うことが出来る身分だ、単身赴任じゃないよ、と言った。しかし、あまり嬉しそうには見えなかった。

  成績優秀で同級生の出世頭のはずであった。ある意味、島の希望ですらあった岩田がその道からずり落ちていたと聞いて、みな、黙ってしまった。

 黙ってしまったけれど、私はなにをどう考えればいいのか解らなかった。岩田に何と言ってやればいいのかも解らなかった。いつも目の前にあったものが不意に取り去られたような感じで、空虚という言葉だけが残されたように思えた。

 「ちょっと火の具合を見てくる」

 と、モソッとした、いつもの口調で大山が言って立ち上がった。上村の遺体が順調に焼けているかどうか、のぞき窓から見るのである。

 オレも行くと私もいっしょに立ち上がると、誘われたように永川も秋田もわしらも行って見よう、と言い、膝に手を当ててヨイショと言いながら立った。永川がテーブルに手をつき、ふらっとした弾みで目の前の湯飲みが揺れ酒が少しテーブルにこぼれた。

 「大丈夫かいや、永川」

 と、秋田が言い、だいじょうぶ、だいじょうぶと永川が答えながら胸の前で小さく手を振ったが、相当酔っている口ぶりだった。

 世津子がティッシュを取り出しテーブルを拭いているのを見ながら、みんなで行こうや、と永川が言い、ふらつきながら靴を履いていた。しかし世津子と岩田はそこに残った。

 外には風はなく、波がパラペットに当たる音もしなかった。人を焼く匂いは風に飛ばされることなく、周囲に充満していた。

  焼き場と呼ばれる小屋は六メートル四方くらいで、四周がブロックになっており、天井はなく、屋根にじかに煙抜きの煙突が突き出している。そこから盛んに煙が出ているはずだったか、月が雲に隠れていて、海の上は漆黒と言っていいほどの闇で、そのため、煙は立ち昇るとすぐに見えなくなった。

 幅十センチ、高さ三センチくらいでガラスの嵌められているのぞき窓を最初にのぞいたのは大山だった。頭の上の四十ワットの裸電球に照らされて、大分薄くなった頭のてっぺんが酒で赤くなり、いい血色に見えた。中で燃え盛っている火を受けて、顔のその部分だけ明るくなった。

 次に永川が見、秋田に変わった。そして、私が中を見た瞬間だった。上村の燃えている身体がタキギの上で動いたのである。真っ黒に焦げながらなお体中から火を噴き上げている上村の上半身が、スーッと起き上がったのだ。むろん、眼も耳も口もすでになかった。一本の大きな火が立ち上がったと見えた。しかし、それが上村の上半身であるということは解った。火のついたタキギではなかった。最初はゆっくり、少しずつ早くなりながらほぼ九十度の角度まで上体が持ち上がったのだ。

 上村は、生きているのか?

 生きて、あの火の中から逃げ出そうとしているのではないか?

 という思いが私の中で駆け巡った。助けてくれぇ、助けてくれぇという、上村独特のだみ声が火の中から聞こえたような気がした。

 体中の血が音たてて引いていくのが感じられた。そのくせ、覗き窓から目を離すことができなかった。たぶん、私の細い目はいっぱいにひらかれていたであろう。あ、あ、あ、という声が私の口から漏れた。大きな声ではなかったと思う。

 私の様子を見て何かを感じたらしく、大山が私を押しのけ中を覗いた。なんだ?というような顔で秋田が私を見ていたが、大山の肩をつつき、入れ替わって中を見た。そして、顎をしゃくって永川に中を見てみろと合図をし、その場を離れた。永川はほんの一瞬見ただけで覗き窓を閉じ、大山を振り返った。

 「まま、あることよ」

 と、大山はつぶやくように言った。

 「するめを焼いたらとくるくるっと丸くなるじゃろうが、あれと同じ理屈で、人体だって焼くと動くんよ」

 と、秋田が公務員らしい丁寧さとそっけなさとで、解説してみせた。

 そのときになって、私の体中から汗がいっせいに噴き出した。心臓の鼓動が周りの皆に聞こえるだろうと思うぐらい大きかった
。顔から血の気が失せているのが自分でもわかった。浜中、大丈夫かと秋田が声をかけてくれた。

 「こんな景色は穏坊をやっているとしょっちゅう見るんだ」

 と、続けて言った。

 

 「俺はね、浜中とちがって、大学では全共闘運動もしなかったよ。」

 何の話をしていたのだろうか、私たちがげんなりした顔で穏坊小屋に帰り、黙りこくって酒を飲み始めると岩田が世津子を相手に話していた。それまでの話の続きを喋っているのだということは解った。

 いきなり私の名前が出たので岩田の顔を見たのだが、それは単に見たというだけで、私の頭の中では炎の塊となった上村が、熱いとも言わずにうごめいていた。

 「一生懸命勉強した。島で細々と、女手一つで、ミカンを作りながら学費を送ってくれているおふくろを思うとね、学生運動や女にかまけているやつらが羨ましくなんかなかったし、むしろ、憎くすらあった。自分で言うのもなんだけど、たしかに俺はよく勉強したよ。大学卒業のときの成績はたぶん学年でも抜群だったと思う。そして、銀行に入った。東大、京大の連中と肩を並べて出世争いをしたんだ。負けてはいなかったと思うよ。じっさい、主任、係長、課長と進むスピードは同期では俺ともう一人東大出のやつとがいつも争っていた。社内でも噂になっていたんだ。どっちが勝つかってね。」

 岩田は例の低音で淡々と話し続けた。

 「俺はね、出世競争に負けたくなかった。この島の連中が俺のことをどう思って見ているか、俺になんらかの期待をしているということも知っていたしね。でもね、俺自身では期待に沿うつもりはなかったんだ。ただ、負けたくないとは思っていた。負けたくないとは思っていたけど、何がなんでも、という気分でもなかった。むしろ、出世争いをゲームのように楽しんでいるつもりだった。余裕があるつもりだったんだ。上司に媚びたことなんかなかったしね。

 ところが、いつの間にか、がむしゃらになっていたんだ。いたらしいんだ。社内の派閥争いに巻き込まれてね。気がついたらその最前線に立たされていた。それでも俺は、マイペースのつもりだったんだけど、女房が二人も子供がいるのにほかの男と出来ているのが判ってからはじめてそれが解った。家族を犠牲にしていたらしい。家族を犠牲にしてまで会社に夢中になっていたらしい。らしいというのは、本音を言うと、今でも俺のどこが悪かったのか、分からないんだ。

 たしかに、土曜も日曜もなく仕事ばかりしていたと思う。女房とも子供ともロクに会話をすることもなく、遊んでもやらなかった。でもね、一般的に言って、親父ってのはそんなもんじゃあないのかい。

 俺の親父だって、中学のときに死んだからよくは覚えてないけど、朝早くから夜遅くまで畠にばかりいて、俺と遊んだことなんかなかったし、会話なんてまったくなかった。家に帰れば、むすっとして酒飲んで、ただ寝るばかりだった。お袋とすら、そんなに毎日まいにち、楽しい会話があったとは思えなかった。家族なんてそんなものだと思っていたんだ。

 あれから、女房の事件があってから、十五年経ったんだ。駆け落ちしていた女房はものの二週間ほどで帰ってきて、そのことに子供たちは気づかないまま、今でも一緒にいるけどね。許すも許さないもないよ、これ以上家庭内をゴタゴタさせたくなかったからね、少なくとも、子供の前では普通の夫婦をやっているさ。でも、女房とは、気持ちの上で、切れたままだよ。引き返す道はないと思う。その気もないしね」

「かわいそうね」

 と、世津子が言った。

 「俺がか?」

 「岩田君も奥さんも」

 「そんなもんじゃあないのか、夫婦なんて。せっちゃんとこが幸せなだけじゃないのか」

 「そうね、うちは幸せなほうだと思わなくちゃね。アメリカだのヨーロッパだのって主人は留守がちだけど、気持ちのつながりは切れてないしね。主人もたぶん多少は遊んでるかもしれないけど、きまった女を作ったこともないし、日本にいる限り、私や子供たちを大事にしてくれているからね。年に半分しか家にいないなんて文句言ってると罰が当たるかもしれないわね」

 惚気ていると自分でも気づいたのだろう、世津子の顔が少し赤くなり、照れ隠しにちょっと俯くと長いまつげと形の良い鼻筋が際立った。

 そのとき、入り口のガラス戸が開く音がした。夜が更けていたせいか、さっきの上村の姿が焼きついていたせいか、その音は私の中で驚愕するほど大きく響いた。心臓が止まるほど驚いたという、ありふれた言い方がぴったりの情態だった。

  私たちが入り口を振りかえるとそこに背の高い青年が立っていた。世津子の息子の昌弘だった。何年か前に会ったことのある世津子の亭主にそっくりになっていた。

 戸外の冷えた空気と、人を焼く匂いがどっと入ってきて、室内の淀んでいた空気と入れ替わった。

 昌弘くんじゃないか、と私が言った。自分の心臓が高鳴っていることを皆に気づかれないために最初に発言したのだと、自分で自分の臆病さを分析しながら、腹の中で自嘲した。

  「母さんそろそろ帰って寝なくては」

 と、昌弘が皆に軽く頭を下げたあとで言った。

 時計を見ると午前三時に近くなっていた。

 あら、いつの間にこんな時間だわ、と言いながら、世津子は昌弘に逆らうことなく、素直に立ち上がり、夜更かしはお肌に悪いのよ、なんて気にする歳でもないけど、でも少し眠ってくるわ、と言ってぺろりと舌を出した。そして、

 「朝になったらおにぎりを作ってもってくるわ」

 と言い残して、息子と二人で小屋から出て行った。

 「親孝行なところは遺伝するんじゃのう」と、永川が言った。「せっちゃんは親を大事にして、しょっちゅう島に帰って来とった。昌弘はそれを見て育っとるけん、母親を大事にするんじゃろう。うちの息子や娘に見せてやりたいよ、のう」

  「そりゃぁ、お前が親を大事にせんかったということの証明じゃろうが」

 と、秋田が応え、どこの子でも、子は親の鏡じゃ、と言った。

 

 世津子がいなくなると、小屋の中が急にがらんとした殺風景な空気になった。会話が途切れ、男ばかり五人のむさ苦しさだけが残った。誰もが何か言わなくてはならないような、そのくせ何も言うことのないような宙ぶらりんの状態で黙っていた。互いに酒の酌もせず、ほう、と深い溜息をついたりした。

 すると、再び入り口のガラス戸があかり、昌弘が屈折したような、何か腑に落ちないような表情で入ってきて、母親がいた場所に座った。背が高く、肩幅もあり、三白眼で、偉丈夫といってもいい青年だった。

  「何か母の様子で変わったところはなかったでしょうか」

  と、昌弘がコタツに入りながら誰にともなく訊ねた。体つきに似合わず優しい物言いだった。母親の性格を受け継いだのだろう。

 「変わったところって?」

 と、秋田が逆に訊きかえした。

 「なんにも変わっちゃあおらんよ。せっちゃんは相変わらずべっぴんで、なんぼになってもワシらのアイドルのままよ、のぉ」
と、永川が引き取って言った。

 秋田が世津子が使っていたコップにビールを満たし昌弘に手渡した。どうもというふうに軽く頭を下げ、昌弘はそれを一息に飲んだ。ええのぉ、ええ飲みっぷりじゃ、と言いながら秋田が間をおかず注いだ。そのビールを昌弘は今度は半分ほど飲み、卓子の上にコップを置いた。それで会話が途切れ部屋の中がまた静かになった。海のすぐそばにいながら、風の音も波の音も聞こえてはこなかった。静寂が私たちを包み込んだ。

 永川が横になり、右腕を枕にしていびきをかき始め、秋田が毛布をかけてやった。ガラス窓は我々の息が結露し、戸外の温度がかなり下がっていることがわかった。やがて秋田も自分で毛布をかけ、横になるとすぐに寝息になった。

 岩田が昌弘、大山、私とコップにビールを注ぎ足し、さらに自分にも注いでひとくち呑んだ。

 「母は父のことを何か言ってませんでしたか」

 と、昌弘がぽつんと言った。
「何かって?」

 と、私が訊いた。

 「いえ、べつに、どんなことでもいいのですが」

 

 世津子の亭主は七歳年長で、自動車メーカーの部長だといっていた。高校を出て自動車のディーラーに勤め始めたばかりの世津子と、当時、メーカーの営業としてディーラー回りをしていた亭主が知り合い結婚したらしい。世津子はまだ十九だった。そんな話を、私は六年前の夏、当の世津子から聞いて知っていた。たしか、お互いに盆休みで島に帰省していたときだ。

  「そりゃぁ、大出世じゃないか」

  と、なかば揶揄する気持ちで私が言うと、

  「出世かなんか知らないけど、アメリカに行かされたり、ヨーロッパに行ったり、ロクに家にはいられなくて、なんだかいつもピリピリしてて、大変よねぇ。かといって仕事のことだから私はなんにもしてあげられないし」

  「亭主元気で留守がいいっていうから、理想的じゃないかせっちゃんは」

  と、私はもう一度からかって言った。

 「ちがうのよ、わたしは」

 と、世津子が言った。

 「ふつう、そういうけどね、わたしは違うの。わたし、亭主に出世なんかしてもらわなくてもいいの。安月給でもいいから、毎日一緒にいたいのよ。小さな巣箱でいいから、番いでいられさえすればそれでいいのよ」

 なぜそんな話になったのだろうか、道端で偶然出会っただけなのにすぐそんな話になってしまい、私は世津子の気持ちが図りかねて、戸惑ってしまったのを憶えている。

 

 「お父さんは相変わらず世界中を飛び回っていて大変だと言ってたぞ」

  と、岩田が応えた。

 岩田は辛いのだろうかと、ふと私は思った。出世頭といわれた自分はリストラされ道が閉ざされたのに、同級生の亭主がいまもって走り続けているのを見るのは大会社のサラリーマン同士としてみれば、どんな感情なのだろうかと思った。サラリーマン生活から離れて長い私にはわからない感情を、岩田は持っているのではないだろうかと推測したのだった。しかし、そんな推測も岩田の感情もまったく見当はずれで意味のないことだとすぐにわかった。

 「実は父は五年前に亡くなっているのです」

 と、昌弘が言ったのだ。

 岩田が、なに、と言って昌弘を見、今こいつはなにを言ったんだと問いかけるように私を見、再び昌弘に視線を戻し、今度ははっきり、

 「なんて言ったんだ、いま?」

 と、訊きなおした。

 世津子が、主人はね、相変わらずやれヨーロッパだアメリカだと飛び回っていて、ロクに家にはいないのよ、と言ってからまだ三時間ほどしかたっていない。昌弘が言ったことが嘘か冗談としか私たちに思えなくて当然なのだ。たしかにそう言ったとき世津子は寂しそうだったが、それはいつもツガイで居たいのにいられないことから来る寂しさだろうと、私は思っていたのだ。

昌弘がゆっくり、頭の中で整理しながら話し始めた。

 「父は五年前の十二月に自殺したんです。たまたま日本にいて、なんか風邪気味だといって前日から会社も休ませて貰って、寝室で寝ていて、朝、母が気づいたときには隣の部屋との境の鴨居に紐をかけて死んでいたそうです。僕も姉もそれぞれ所帯を持って独立してましたから、あの家には父と母しかいなかったんです。

  父は実はその時第二工場の責任者でして、重役待遇でした。そして、その頃の第一の仕事がリストラをするほう、つまり社員の首を切るのが主な仕事だったんです。あとで会社の同僚の人から教えていただいたんですが、それがいやでいやで仕方がなかったそうです。

 一緒に仕事をしてきた者の首を切るなんてむごいことを、俺はしたくないよ、でも、誰かがやらなきゃならない仕事だしなぁとも言っていたそうです。会社のためだからなぁって。

 前夜の十一時頃、父がトイレに行くのに母は気づいていたそうです。そのくせ、父が死ぬのに気づかなかったと、母はずいぶん自分を責めていました。

 それが原因かどうか、医学的に正確なことは知りませんが、父が亡くなった直後から、実は母は心を病んでしまいました、でも、完全に狂っているのではなくて、いわゆるまだら惚けのような症状なんです。父はまだ元気で忙しくしていると言っているかと思うと、父が死んだことに気づかなかった自分を責めて、まるで自分が父を殺したかのように言ってみたり、そのときどきの状態しだいでなにを言うか解らないのです。

 ただ、不思議に日常生活はきちんと出来るんですね。まだ、あの家に一人で住んでいます。幸い姉がごく近所にいますので、毎日勤めの行きかえりに顔を見に寄ってますが、生活サイクルを見る限り、この人のどこが変わっているのかまったく気づかないそうです。ちゃんと買い物にも行くし家事もそれまでとまったく変わりなくこなしているそうです。

 ただ、姉が夜になって行ってみると、お父さん今夜も遅いようだから、あたし先に食べちゃったわ、などと言うこともあるそうです。かと思うと、お父さんがいなくなってから、食欲なんてまったく無いのよ、と言って泣くこともあるそうです。」

  「それは、いつのことだ。お父さんが亡くなったのは」

 と、私は訊いた。

  「十二月でしたから、正確には五年と四ヶ月前ということになります」

 

 四年前の夏、私は突然世津子に呼び出されたことがあった。

 世津子は広島に住んでおり、私は東京で、売り上げが下がる一方の会社を抱えて悪戦苦闘していた。梅雨が明けたばかりの油照りのする真昼間だった。銀座のホテルにいるからすぐに来てくれ、という電話を世津子がかけてきたのだ。幼馴染で、高校のとき少し仲良くなったことがあるといっても、私にはあまりにも唐突なことだった。私が面食らい、上京してきた理由や、私になんの用なのかを訊こうとすると、世津子は部屋の番号を告げ、すぐに来てね、と言って電話を一方的に切った。

  私は急ぎの仕事だけ整理し、経理の原田佐知子にちょっと出てくる、と言って電車で銀座に向かった。

  私はバブルの末期に独立し、建築資材を扱う会社を経営していた。一時は社員も二十人以上抱え、建築資材を中心に内装材料、果ては温泉旅館相手に毛布やシーツ、浴衣、バスタオルなども手がけて、ちょっとした商社気分になっていたのだ。しかし、バブルの崩壊は、私の会社のような零細企業に対して容赦が無かった。毎年売り上げは落ちる一方で、あせって無理に売り込むと、不渡り手形をつかまされたりして、悪循環に陥り、四年ほど前から社員にボーナスも出せなくなっていた。見切りをつけて、社員たちも次々にやめて行き、世津子から呼び出された頃はもう五人しかいなくなっていた。

 地下鉄を出てすぐ目の前にあるホテルに入ったのは五時ごろだったと思う。

 指定された部屋のドアをノックし世津子に迎えられて中に入ると、道路を隔てた向かいのビルの壁面にまだ強烈な日差しが射し、白く光っていた。窓のはるか下を車と人がもぞもぞと移動し、足の裏がこそばゆくなった。世津子はカーテンを開け放し、その光景を見ていたらしかった。二人で並んでその様子を眺めた。元気だったのか、と私は尋ねたが、世津子は返事をしなかった。クーラーがよく利いており、肌着にしみこんだ汗が冷えて寒気がするくらいだった。

  やがて、世津子がレースとサンシャットのカーテンをいっぺんに握り、勢いよく閉めると、明るいところを見ていたせいで室内は極端に暗く感じ、部屋の中はいっきに深夜になった。

 世津子がふり向きざま私にしがみついてきた。そして、何も言わずに、私をベッドに押し倒し、唇を合わせ、舌を差し込んできた。暗くて彼女の顔は見えなかったが、動作にためらいは無かった。驚きためらっていたのは私のほうだ。思考停止状態になっていた。いや、私は意識的に思考を停止したのかもしれない。

 二人とも何も言わず、互いの息遣いだけを聞いている時間が過ぎていった。

 夜に入って、私たちは食事を摂りに街に出て、寿司を食べた。生ビールを私は二杯、世津子は一杯飲んだ。普通の女性が食べるのと同じくらいの量の寿司を世津子は食べた。店を出ると「もう遅いから、今夜はおうちに帰れば」と世津子が言った。

 「私も帰るからね」
と、まるで毎日のように逢っているかのような口ぶりで言った。ホテルにではなく、私もおうちに帰るからねとでもいうような言い
方が、セックスをした直後の男女としては少し変だった。そして、

 「明日も来るのよ」

 と、押し付けがましい言い方をした。私にはウもスも言わせない言い方が私が知っている世津子のようではなかった。

  しかし、突然の成り行きで訳がわからないまま、私はとりあえず会社に帰り、そこから車で家に帰った。脳が働かず、頭のうしろがジーンと鳴っていた。

 次の日の夕方ほぼ同じ時刻に部屋を訪ねると、彼女はもういなかった。フロントで尋ねると、今朝早くチェックアウトされましたという返事が返ってきて、私はますます何がなんだかわからない情態で、何も考えられなかった。絡みつくようだった世津子の裸は、あれは夢だったのだろうかとも思ったが、窓から見えた隣のビルに当たる日差しは鮮明に頭の中に残っていた。

  昌弘の言うことが本当だとすれば、あの時すでに世津子の心はいびつになっていたことになる。あの時私が抱いたのは病んだ世津子だろうか、正常な世津子だったのだろうか。あのあと、彼女からは何も言ってこなかった。私のほうから家に連絡するのは何かみすぼらしく感じられて、電話一本入れなかった。あのとき、一瞬、二人の間に流れた時間は、夢、幻だったのだと思い始めていた。

 それから、四年半が過ぎた。島に帰るたびに母からあれこれの噂話や近況を聞かされたが、世津子に関するものは、自動車メーカーの重役夫人で幸せにやっているらしいという程度のことだった。

 その間、病気になったり、正常になったりを繰り返しながら、世津子は病気の度合いを深めていっていたのだ。四年半前の夏の出来事は、それを少しでも治癒しようとして、世津子がとった行動だったのだろう。

 あのときの世津子が病気のときの世津子だったしても、健常なときの世津子だったにしても、それに気がつかなかった私のうかつさに、肌を裏側から焼くような感情が迫ってきた。「明日も来るのよ」と私に命じた彼女の哀切さを、受け止められなかった自分がひどく不様なものに思えた。

 

 私は三年前、二人の娘とともに家を出て行った妻の宏美のことを考えた。

 会社が不振でとうとう家に入れる金も滞りがちになっていた。社員に給料を支給するのが精一杯で、とても自分の給料まで手が回らなくなっていたのだ。そんな状態が三月続いた。すると妻は「耐えられないわ」と言い置いて実家に帰っていった。派手な買い物をするのが好きで、

「お金が使えないのでは欲求不満になってしまうわ」

 と口を皮肉にゆがめて喋る女だった。二人の娘も母親によく似ており、短大を卒業しても働こうとせず、そのくせ夜遅くまで遊び歩いていた。痩せて貧相な身体を、自分ではスタイルがいいと思い込んでいる姉妹だった。下の娘は妊娠し、堕胎したこともあるようだったが、私には一切相談も無かった。

 幸い宏美の父が健在で、長男とともに十店舗以上もコンビニを経営していて、金に不自由はしていないらしかった。おそらく、そんなに貧乏するくらいなら帰ってこい、というようなことを言ってきたに違いない。三人ともに、やれやれといった態で出て行ったのだった。

 家も土地も店舗もとっくに銀行の抵当に入っていたので、彼女たちに渡すべき手切れ金も払えなかったが、宏美からは腐れ縁があっては面倒とばかりに、実家に着くとただちに離婚届が送られてきた。

 私はうつろな気持ちで署名、押印してそれを送り返した。何か書いたものを添えてやろうかと思ったが、何を書いてもむなしい気がして離婚届用紙だけを送った。

 実際、そのころから私の会社は完全に行き詰まり、倒産は時間の問題だった。だから妻や義父の判断は正しかったのだ。
それでも、会社がそれから三年も生き延びたのは経理の原田佐知子のおかげだった。彼女が金策に走り回ってくれなかったら、もっと早くだめになっていただろう。

 しかし、彼女の努力も、この一両日で瓦解するだろう。私の会社は明日にも二度目の不渡りを出すはずである。

 私の会社が倒産したことを知れば、妻や義父は何を思うのだろうか。こっちにとばっちりが来ないうちに別れておいて良かったと思うのだろう。そして、それだけしか思わないだろう。

 宏美と世津子を比較するつもりはないが、世津子に少しでも宏美の厚かましさがあればと思わずにいられなかった。

 

 「もうそろそろ夜が明けてもええ頃じゃが」

 と、大山がつぶやくように言った。たしかに窓の外は少し明るくなっていたが、見ると、分厚い雲が空一杯に拡がっており、日はさしていなかった。時計を見ると七時を過ぎていた。

 私の携帯が突然のように鳴り、電子音が至急電報のように聞こえた。電話を受けるまでもなく、それが経理の佐知子からだと私には判っていたし、その内容も想像ができていた。

 電話に出た。果たして相手は佐知子だった。連日の資金繰りでやつれ果てた彼女の顔が私の中に浮かんだ。話の内容も、きょう会社が不渡りを出してしまうが、それを防ぐ手立てがないということだった。

 「いつこっちに帰ってこられますか」

 と、佐知子が訊いた。

 「今夜には帰る」

 「それまでわたしはどうすれば良いですか」

 三日後に債権者会議をする旨、紙に書いてドアに貼り付け、アパートに帰っていなさい、とわたしは指示をし、また連絡すると言って電話を切った。

 「俺の会社が、たった今倒産した」

 と、私を見つめている岩田と大山と昌弘に言った。

 三人とも何も言わなかった。

 「死ぬなよ」

 と、しばらくして大山が言った。

 死ぬわけには行かないだろう、と私は思った。三十九歳の佐知子の腹に私の子供が宿っているのだ。しかし、どうやってこの先食べていけば良いのか、子供を育てていけばよいのか、秋田は孫を、私は自分の子を、この歳になって育てなければならなくなったが、先はまったく見えなかった。

 しかし、死ぬわけには行かないだろう。子供のためというのではなく。

 

 携帯の音で目覚めたらしく、秋田がむっくり起き上がり、時計を見ながら

 「もう、焼けた頃じゃろう」

 と、言って立ち上がった。それをきっかけに、永川をおこし、みんなが立ち上がり、戸外に出て伸びをしながら焼き場に入った。
母の様子を見てきますと言って、昌弘は家に帰っていった。

  焼き場内部の温度は極端に乾燥して高く、死体を焼く匂いも充満していて、わずかでも戸外の空気を吸った身体をそれらが不快に包んできた。しかし、煙はもうほとんど出ていなかった。ただ、ほとんどが灰になった中で内臓の塊と思える部分が焼け残り、まだ油をしたたらせながらぶすぶすと焦げていて、そこから細い煙が立ち昇り、匂いの発生源にもなっていた。

 「みろ、腹の黒いやつは、はらわたが燃え切らずに残っとる」

  と、さっそく永川がけちをつけた。
 
 「どうする、大山」

 と、秋田が訊いた。

 「捨てる」

 大山は気負いもせず、自棄にもならず、当然のことのように言い、骨を拾うための竹箸で、その二〇センチくらいの塊を部屋の角にあったブリキのバケツに入れ、外に出て行った。我々もまるでそのバケツに、あるいは焼け残ったはらわたに先導されているかのように、焼き場から並んで出て行った。

 「捨てるって、どこへ」

 と、岩田が訊いた。

 「海」

 と、大山が一言で応えた。

 海はほとんど波がなく、空が曇っているせいで海面も鈍いグレーだった。

 「いいのかよ」

 と、岩田が今度は秋田に訊いた。

 「ええも悪いも無い。今のうちに捨てとかんと、遺族が骨上げに来るまでに骨が冷めんし、こいつはこれ以上置いといてももう焼けん」

  と、秋田が説明した。

 「お前は公務員のくせに言うことが大胆だなぁ」

 と、岩田がからかって言った。

 「昔からやっとることよ」

 と、秋田が応えたとき、遠くからブーンという軽快なエンジンの音が聞こえてきたと思ったら、向かいの島とこちらの島との狭いところを、広島と松山とを結ぶ高速船がすばらしい速度で駆け抜けていった。

  大山はパラペットの切れ目にあるコンクリートの階段の踊り場に立つと、バケツをふって、まだ煙の立っているはらわたを放り出した。はらわたは少し離れたところで着水し、周囲に薄い油の膜を拡げながら浮かんでいた。煙はもう出なかった。浮かびながらわずかずつ沖に流れていっているのは引き潮に乗っているせいだろう。しばらくそれを眺めていると、

  「大山の腐ったようなはらわたもこれで魚の餌になれば、何かのお役に立つというものよ」

  と、永川が言い、

 「おかげで、ここはチヌがよう釣れる」

  と、珍しく大山が精一杯の冗談を言った。

  そのとき、先ほどの高速船が立てた大きな波がこちらに押し寄せてきてパラペットに当たり、しばらく波の砕ける音が続いた。その音が収まりかけた頃、

  「おい、大山」と、左手を指差しながら、永川が突然テンションの上がりきった声で呼びかけた。「あれはイワシじゃろうが」

  見るとそこから三十メートル行った先はパラペットが途切れ、岩場になっていて、その上で沢山の小さな魚がピチピチと跳ねていた。全員がすぐに駆け出した。一晩中酒を飲んで徹夜をしたオヤジにしては軽快な足取りだと本人たちは思っていたらしいが、もしも他人がその姿を見ていたら大笑いしただろう。三十メートルは遠かった。息切れがし、目眩がした。

 大山の説明によると、スズキかハマチに追われたイワシの群れが、さっきの高速船の大きい波に乗せられて岩場に打ち上げ
られたらしい。

  私たちは息を切らせ、目眩を感じながら、手づかみでイワシを拾い、さっきまで上村のはらわたが入っていたバケツにそれを放り込んだ。皆、夢中になっていた。倒れそうになる身体を四つんばいになって堪えながら拾った。数分の間にみんなで四〇尾くらい拾いバケツに入れた。

  「どうする」

 と、私。

 「ばか、喰うに決まっとろうが。大山、竹切って来い。秋田、焚き火を焚け。朝酒の肴にちょうどええ」


 永川がいそいそと指図し、まだ呑むのか、と、ウンザリしている岩田を無視して、焚き火の周りでの朝の宴会が始まった。イワシは竹串に刺され、火に炙られてたちまち私たちの肴になった。二〇分ほど海水につけてから焼くと、いい塩味になっていた。骨もはらわたもバリバリと食べた。

 「呑んで、呑んで、飲み倒さんと自殺なんかしやがった馬鹿同級生の供養にならんじゃろうが」

 と、永川が言い、ほんまに馬鹿よのう、死なぁでもよかろうに、と付け加えるように呟いた。その声の最後のほうがかすれ気味になり、震えて、涙声に変わっていた。

 あれほど上村を罵倒していた永川が泣いているのだった。罵倒しながら死んだ同級生をいたわっているのだった。罵倒するしか、感情の持って行き場が無いのだろうと、その時になってようやく上村に対する永川の複雑な感情を理解した。

  「言われてみれば、たしかに美味い」

 と、いいながら岩田もイワシを食べ、酒を飲んでいた。

 「死んでしまやぁ、イワシも人間も、焼かれるか捨てられるか、喰われるか、似たようなものよ」
と、永川が言った。

 その時だった。突然雲の一部が裂け、まるでスポットライトのように私たちのところに日が差してきたのだ。

 春とはいえ、それは朝の、生まれたばかりの、新鮮な日差しで、思わず全員が、おおとどよめいた。

 そして私が何気なくすぐ後ろの、十メートルほどしか離れていない山側を振り返ると、そこには樹齢百年といわれる桜の巨木が立っていて、そこに腕のいい証明係が計ったようにピンスポットで朝日が当たり、桜自身の色と朝日の色とでかすかに赤らんだ桜の満開が、私たちを見下ろしていた。

 
威、品ともにおのずから備わりつつ、しかし、他を圧せず、睥睨せず、桜自身が巨大な発光体となって輝きながら、周囲はまだ枯葉色の斜面の中で屹立していた。

 桜の樹の下には死体が埋められていると若い頃読んだ小説の中にあったような気がするが、この樹の下にはいったいいくつの死体がうずもっているのだろうか。

  棺桶すらなかった遠い時代、深く掘られた土の中でやがて死体は腐乱し、ずるりと向けた皮膚の下から体液が流れ出し、桜の毛根が微細に震えながらそれを吸い上げていく。死体から生み出された漿液といわず血液といわず、皮膚、肉、脂肪、骨、いやおそらく魂までも桜は吸い上げ、幹をそだて、枝を繁らせ花を咲かせる。

  人の肉体と魂は桜の体内を通過して花となり、ひとひらの花弁となり、やがて風にあおられて中空高く舞い上がっていく。この輪廻こそが、太古の昔から人に信じられてきたものに違いない。これを信じることによってのみ、人はこれだけ長い間生きてこれたに違いない。

  千年の歴史の間、桜は人の穏亡を続けてきたのだ。この穏亡があることで、人は安心して生き、喰らい、まぐわい、死んでいくことができたのだ。

  桜は永川が自殺し、世津子の亭主が首をくくり、イワシが焼かれて食われることをはるか昔から知っていて、しかし、それでも警告もせず、語らず、その場に立ち続けて来た。まるで立っていること自体に意味があるかのように。

  私はイワシを口に運ぶことも忘れ、酒をあおることも忘れ、光り輝く桜を見つめ続けていた。そして、不意に思った。オレは明日もこのイワシを食い、あさっても、この酒を呑むだろう。だらだらと生き続けるだろう。やがて、この桜に穏亡をしてもらう日まで。
                                【了】


 
 

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